見えなくなった彫刻家。これが今の私です。

 東京造形大を1989年に卒業した後、東京芸術大大学院で文化財の保存修復技術を学んだ私は木彫作家と仏師、二足のわらじを履きながら30年以上を彫刻家として生きてきました。

 眼に異常を感じたのが20年ほど前。30代後半のことでした。受診の結果、難病の網膜色素変性症であることが分かりました。以後、少しずつ見えにくさが進み、現在は医学的には全盲となりました。

 見えないのに彫刻家?と思われるかもしれませんが、今も毎日作品と向き合っています。表現は木彫像から、粘土を使った塑像へと変わりました。

 木は見えないと彫ることはできません。木には正目と逆目という木目があります。逆目は刃が入りにくいため、違う方向から彫り進めなくてはなりません。木彫は常に彫りやすい方向を見つけて木を動かしながら制作していきます。見えないと、これができません。木を回していくうちに、どこを彫っていたのか分からなくなってしまうのです。

 これに対して、粘土は自由に形を作れます。木彫のように素材を動かす必要がありません。方向が変わらないので、見えなくても作品を作ることができるのです。

 当初は形を把握するのが難しかったので、天地左右の距離感を知るために粘土にビー玉をはめ込んだり、薄い板を形のポイントに差し込んだりしていました。それが最近は、形を作るための補助道具は要らなくなりました。見えていた時の記憶と触覚を頼りに、狙った形が作れるようになってきました。脳内が、見えなくても形を作る方法を学び出したようです。

 人間の脳の神秘さに驚くだけでなく、見えなくなってからさまざまなものが「見えて」きました。

 一つは、視覚障害者は美術館に行けないということ。美術館で作品を鑑賞することができないのが現実です。

 視覚に障害があると、事物を理解するには、音声(言葉)による説明と触ることが中心になります。しかし美術館は、絵画はもちろん彫刻でも基本的に作品に触れることはできません。見えていた頃は美術館や画廊が生活の一部でしたが、見えなくなって以来、一度も美術館で作品を鑑賞したことはありません。でも、見えなくても「見たい」し、楽しみたいのです。

 そこで私は考えました。まずは、全ての美術館に触れる彫刻作品が常設展示されること。そして、アテンド(付き添い、ガイド)しながら、一緒に作品を鑑賞する人がいてくれたらいいのでは、と。

 盲学校では美術の教科書がなく、視覚障害者の美術教育は模索の時代が続いているそうですが、見えなくても美術を楽しみたい人は大勢います。見えなくなった彫刻家の私だからこその発信が必要なのだと感じています。

【略歴】 木彫作家として制作を続けてきたが、目の難病により55歳で視覚を失う。以来、触覚を頼りに塑像を制作している。東京芸術大大学院保存修復技術専攻修了。